「振る舞いを選択している」と自覚すべき。
「人に優しくするときは、見返りを求めるべきではない」
よく聞く発言ではあるが、確かにそうだと思う。
思ったような反応が返ってこないときに、「せっかく優しくしたのに」となるのは不健康だ。
だが、なんだかんだで、優しさが返ってくるのを期待してしまうのが人間というものではないだろうか。
そもそも、「見返りを求めない」というのは、どういった境地なのだろうか。
どうやったらそう思えるのだろうか。
私なりに解釈してみたので、紹介したい。
「好きでやったことだから」
私が人に優しくしているのに、どうしてソレが返ってこないのだろう。
そう思う前に考えてほしい。
その振る舞いは自分で選んだことではないだろうか。
近くにいる人のことを手伝いたい。
「手伝う」or「手伝わない」の選択肢があり、「手伝う」を選んだ。
それは、好きで選んでいることだ。
つまり、感謝を受けた人がたまに口にする
「いえいえ。私が好きでやったことですから。」
は、本当にそういう意味だ。
そう口にする人の多くは、
「振る舞いに選択肢があり、好きで人助けを選んだだけ」
という意識をハッキリ持っているのではないだろうか。
選択がなかったこと、無理矢理やらされていることなら、見返りがないと、嫌な気持ちになる。
しかし、自分が選択したことなら、好きでやったことだ。
困ってる人をほっておけないのは、その人が人を助けるのが好きだからだ。
常に自分が選択していると思えば、見返りを求めずに済むんじゃないだろうか。
何事もそう。
『努力』も。
エラそうな口調でここまで書いてきたが、上記のようなマインドは、最近、自分に言い聞かせていることでもあったりする。
「好きでやってることですから」と言えるようになりたいね。