差別のなくなり方について

私は、差別のなくなり方について、二つの方法があると思っている。

 

一つ目は、みんながその差別について勉強して、「良くない」と意識を高く持ち続けること。

 

二つ目は、みんながその差別について、忘れること。次の世代が知らないって状態になること。

 

私は、二つ目の方が好きだ。

 

皆が特定の差別について意識しすぎると、気遣いが暴走して、逆差別のようなことが起きてしまうし、何より堅苦しい。

 

出来れば二つ目の方法が良いと思っている。

 

ただ、それもなかなか難しいのかな、と思う出来事があった。

 

5年くらい前に起きた橋下徹さんへの例の週刊誌の記事だ。

 

部落差別への教育って関西では特にしっかりおこなうものらしい。

 

私も関西出身なので、幼いころにかなり授業で取り扱われた記憶がある。

 

しかし、大人になるにつれて、半分忘れていっているような状態になっていたし、みんながそうなっていくのだから、自然に差別ってなくなっていくのかな、なんて考えていた。

 

みんなが気にしてない、みたいな。

 

それだけに、あの記事はなかなか衝撃的なものだった。

 

「それダメだろ」って。

 

せっかくなくなりかけていた悪いものがまたぶり返したかのような印象を受けた。

 

しかも、あの記事への人権派の反応が凄く良くなかった。

 

普段、「平等」「人権」「差別反対」と声高らかに叫んでいるような有名ジャーナリストや政治家の一部が、

「あの記事は問題ない」とか「よくやった」みたいなことを言い出した。

 

橋下徹さんは普段、そういった人たちと対立することが多かった。

 

しかし、それとこれは別。

 

普段、人権派を名乗っている人が「橋下さんが嫌いだから」という理由で、あの記事を認めてしまっては、何の大義もない。

 

嫌いな人には何を言っても良い、というのなら、何が人権派なのか。

 

今回、上記のようなことを書いたのは、橋下さん自身が今回の蓮舫さんの国籍問題で以下のように話しているから、思い出したことだ。

 

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その最たる御仁が、参議院議員有田芳生。こいつだけはほんと許せないね。

週刊朝日が僕の出自を差別的に連載記事にしたとき、有田は「これは面白い!」と言い放ったんだよね。そして僕が猛反撃したら、よく分からん言い訳をしていた。その一方、今回の蓮舫さんの戸籍謄本開示問題では、「人権問題の歴史的逆行」になるから開示を許してはいけないなんて言っている。

有田は自分が嫌いな相手(僕)の出自が公になることは面白く、自分の所属する党の代表の、ちょっとした戸籍情報が開示されることはプライバシー侵害になり、人権問題にもなるから許されないと言うんだ。典型的なダブルスタンダード

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まったくその通りだと思う。